2007年12月02日

勉強が出来るようになるために

自分の周りを見渡して、勉強できない子が出来るようになったことってある?塾に行ったら急に出来るようになった人っている?家庭教師をつけてもらったら、いきなり出来るようになった人っている?○会や○○ゼミを家でやり始めたら、とたんに成績が上がった人っているかな?

なんだかんだ言ったって、そんな人ってほとんど見たことないんじゃないかな。

結局、いま勉強が出来る人、成績がいい人って言うのは、以前からよく出来る人ばっかりなんだよね。で、前にも言ったけど、こういう人もいつまでも出来るわけじゃあないんだよね。

何もしなくても出来ていたから、何もしなかった。塾に行ってたら、それだけで出来ていたから、塾でしか勉強しなかった。でも、それだけでは太刀打ちできなくなってきた・・・。

あきらめるor頑張ってみる。

どちらを選ぶのも自由だと思う。でも、大人の観点からすれば、やっぱり勉強は頑張っておいたほうがいい。大人になったら勉強の大事さは100人が100人とも分かるもんね。勉強の大事さが分からない大人はいないと言ってもいいんじゃないかな。

これも前に言ったけど、勉強って言うのは、今するべきことから逃げずに立ち向かい、最後までやり遂げて、事を成すための練習なんだってこと。もちろん、知識を獲得するという想像通りの目的だってあることは言うまでもないよね。

で、今まで、勉強が出来ていたけど、思うように行かなくなった子が、一念発起して勉強を頑張りだしたら・・・

ある人は上手くいって、勉強がまた出来るようになるだろうし、ある人は上手くいかずに、勉強が出来ない悪い連鎖にはまってしまうことでしょう。

元々勉強がよく出来ていた人も、元々勉強があまり出来なかった人たちも出来ない流れの中では、なかなか上手く上昇していけないんだよね。

でも、本当に少数だけれども、勉強が出来ない(出来なくなってしまった)人の中から、勉強が出来るようになる人がいることは事実なんだよね。

出来るようになる人と、出来ないままの人の差っていったいなんなんだろう?

それは、きっと”私は出来る(はず)”と言う強い(?)気持ちの有無なんだと思う。

続きはまた今度。
posted by 夜明けの遅番教授 at 05:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育論〜総合編〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月20日

勉強をやらない理由

勉強ってやったほうがいいのは誰でも分かってることなのに、みんなやりたがらないよね。もちろん私だって、勉強よりも遊ぶことの方が楽しいから、何かしら理由をつけて勉強をやらなかったりするんだよね。

でも、勉強がやれない、勉強をやらない理由が勉強をやるべき理由に勝てるはずなんてないんだよね。

つまんないゴタクをグダグダと並べて、勉強を後回しにして、その結果、手遅れにしちゃったら本当に意味ないよね。

勉強をやりたくないからって、意味のない理由を散々考えても、それで正当化できるのは、勉強から逃げている弱い自分なんだよね。そんな出来損ないの自分を守っても何の得にもならないことは誰にだって分かることだよね。

でも、勉強が嫌だからって勉強をしない理由ばかり考えている人が本当に多いの。そんな甘い考えで、勉強が出来るようになるわけないし、一人前になれるわけないじゃん。

ダメな自分を正当化して、せっかくの強くなるチャンスを逃しちゃダメだよ!

勉強に限らないけど、やるべき事を否定したり、ちゅうちょしたり、あきらめ、投げ出している限り納得のいく自分になんてなれないよ。

今やるべき理由をしっかり認識して、早く行動に移そう。一歩を踏み出すことは怖いけど、踏み出してみると、いつでもそれは簡単だし、やってよかったって満足がきっと残るからね。
posted by 夜明けの遅番教授 at 04:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育論〜総合編〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月19日

あるのは限界じゃなくて段階

私は中学生の頃、数学は得意ではありませんでした。正直な所、社会が好きだったし得意でした。国語も塾の先生に結構ホメられたりで、まんざらでもありませんでした。

その反面、理科は小学生の頃からあんまり好きではなかったし、数学も別に自信があるって感じでもなかったんだよね。

はっきり言って、完璧に文系人間だったと思います。

でも、(気持ちの上で)苦手な理系科目を克服するために、高校では理系に進むことにしました。

とりあえず、入試も無事に突破し、予定通りに理系に進んだんだけれど、元々気持ちの面で数学が得意ではなかったから、1年生の1学期の期末試験で惨敗を喫した後、そこから3年間はいい点数を取ることはなかったように思います。文系に進んどきゃ良かったなーって思ったことは否定できません。

結局私は高校卒業後、浪人することになるんだけれど、浪人したからって勉強できるようになるわけではないし、って言うか、勉強できないから浪人しちゃってるんだけれどもね。で、やっぱり最初は数学の成績も上がんなかったんだよね。

で、私の場合は高校3年間は理系をやってたんだけど、浪人の10月に思い切って文転を決意しちゃいました。理由は数学じゃなくって、理科が本当にわかんなかったからなんだけど。

でも、数学は捨てませんでした。だって文系でも入試で数学は使えるからね。なんていうのかな、理系(だった)の最後の意地って感じかな。ここで数学まで捨てちゃったら、自分の人生で理系だったってことが完全に無意味になっちゃう。それは嫌だったんだよね。

文転を決意してから、数学は本当に頑張りました。勉強のスタイルも変えたもんね。

それまでは別に目的も無く適当な問題を適当に選んで、ダラダラ考えて(実際は考えてもいない)、分かんないから適当に答えを書き写して、終わり。もちろん解き直しなんてするわけも無いって感じだったんだけど、文転してからは、模擬試験とかでよく見る問題の中で、自分が解けなかった問題をチョイスして、それらを全部書き出したんだよね。

まずは、問題と適当に向き合うんじゃなくって、真剣に向き合って、解法や解答の前に、問題の理解と記憶から始めました。

で、それらの問題は当然私の出来ない問題だから、無駄に時間を費やさないように、さっさと解法を書き写すことにしました。ただここで一番気をつけたのは、書きっぱなしじゃ今までと同じだから、解法の意味をしっかり理解することに努めました。

でも、なかなか上手く理解できない問題だってある。だから、どうしてもわからない時は、いったん置いておいて、また次の日に同じ問題をやってみるんだよね。

2回目以降は出来る限り、解法を見ずに自分で答えを作っていくんだけど、その時に自分がどれだけ理解しているかってことを確認しながら答えを作っていきました。そうすると1回目はどうしても意味がわかんなかったポイントもいったん時間を置いてやり直した時に、すっと理解できることがあるんだよね。

1回で分かんない時は2回3回…9回10回って感じで、何回もやり直したもんだよ。

まぁそれでも分かんない時はあるけど、どうしても分かんない時はとりあえず”そういうことだ”って感じでひとまず置いておくんだけど、たいていの場合は5回も6回もやっていくうちで、なんとなくでも意味が分かるようになるんだよね。

何度もやるのって、とっても面倒臭いけど、自分が出来ないんだから仕方ないよね。面倒臭いことから逃げてちゃ、いつまで経っても出来るようにならないんだもん。ただ、何度もやらなきゃいけないから、その分解かなきゃいけない問題も増えてきちゃう。だから、書き写すにしても解きなおすにしても、特に2回目以降の書く作業にはスピードを重視しました。

別に誰かに見せるノートでもなんでもないもんね。自分がその時に確認できればいいんだもん。結構書きなぐったんだと思う。

でも、そのおかげで圧倒的なスピードと理解力を手に入れることが出来たのかな。

で、いつしか、って言うほど時間もかからずに、数学が得意科目になっちゃった。そうなって初めて思ったね。数学は社会(歴史)よりも面白いって。歴史の方があんなに得意で好きだったのに、一気に逆転しちゃった。

もっと早くから、やれていたらなぁよかったのにって何度も思ったけど、それが私にとっての最善だったんだって思う。

なにをやるにしても、遅すぎるってことは無いのかなって、その時に学んだ気がする。自分にとってのベストを尽くせたことは本当に自分の自信になったからね。

好きでもないし、得意でもなかったから、余計に自分の中で限界みたいなものを感じていたんだけど、それは限界じゃなかった。一つの段階だったんだって。本当の所、限界を決めるのは自分の能力以前に自分の気持ちなんだろうね。

絶対にやり遂げるんだって気持ちがあれば、きっと乗り越えられる。もちろん闇雲にやっていても結果が出ないことはあるけれど、自分にとって何がやるべきことなのかって事をしっかり考えて行動すればいい。

上手くいかないのなら、変なこだわりは捨てて、新しい道筋を考えなきゃいけないってことも大事だからね。最後まで、諦めずに頑張ろう!
posted by 夜明けの遅番教授 at 04:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育論〜総合編〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月16日

事実を受け入れるvol.2

前回の続きです。

早い話、世の中には勉強をバリバリしなくてもいい成績が取れる人と、バリバリやらなくっちゃいい成績が取れない人の二つに分かれるんだってお話をしていたんだけれど、いい成績が今は取れている人だって、いついい成績が取れなくなるかは分からないんだよね。

今まで(前までは)いい成績が簡単に取れていたのに、急にいい成績が取れなくなってきたぞ。自分はもっと賢いはずなのに・・・。っていう具合に、いつなるか、分からないってことなの。

そうなった時に大事なことは、事実を受け入れるってことなんだよね。確かに一時的なスランプで勉強がはかどらないってこともあるかも知れない。でも、たいていの場合は一時的なものじゃなくって、”天才の終わり”と思っていい。

一時的なスランプだろうがなんだろうが、勉強が出来なくなったのなら、やるべきことはただ一つ。しっかり勉強することだけなんだよね。

それなのに、「自分はやらなくても出来るのに・・・」なんてつまらないプライドを捨てきれずに、満足な勉強をしなかったら、いつまで経ってもいい成績、自分が満足できる結果を残すことは出来ないといっていい。

今まで、”天才”を経験したことの無い人も、天才だった人も、これから天才じゃなくなるかも知れない人も、勉強することをサボったら、それだけ、ツケが回ってくるんだよね。

大人になって、勉強一つ出来ないんじゃ、だらしないもんね。勝ち組負け組とか世の中で言われているけれど、勝ち組で勉強の出来ない人はいないよ。

結局は生きるために勉強をし続けなきゃいけないんだ。いい成績をとって、いい学校に行くためだけが勉強じゃないってことをしっかり覚えておいて欲しいと思う。
posted by 夜明けの遅番教授 at 05:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育論〜総合編〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月07日

事実を受け入れる

世の中には、勉強らしい勉強をしなくても、いい成績を取れる人がいます。たくさん勉強をしているはずなのに、全然成績が上がらないと言う人もいるでしょう。

いい点数、いい成績が欲しい人は、まず自分が、勉強しなくてもいい点数、いい成績が取れる人なのか、取れない人なのかを、はっきり認識することです。

まー、はっきり言っちゃえば、いい点数、いい成績が欲しいなぁって思う人は、勉強しなくてもいい点数、いい成績が取れる人ではないと思うんだけどね。

ここで、知っておいて欲しいんだけど、人には、

1:勉強らしい勉強をしなくても、いい結果を残せる人。もちろん、塾に通う必要も無い。
2:塾に通いさえすれば、家で、さほど勉強をしなくても、いい結果を残せる人。
3:家でも塾でも十分に勉強をしないといい結果を残せない人。

の3つのパターンがあると思う。

ぶっちゃけ、1と2の人って言うのは、申し訳程度の勉強で、いい結果が残せる人たちだ。それに対して、3番の人はしっかり勉強をやらないといけない人だ。

世の中、3番に属する人が多いんだけど、自分が、いったい何番なのか、ちょっと考えてみてね。

とりあえず、また続きます。(今度は何ヵ月後かなぁ・・・)
posted by 夜明けの遅番教授 at 06:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育論〜総合編〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月05日

子どもの社会と大人の社会vol.2

えー、お恥ずかしいことに4ヶ月のご無沙汰でした。まぁ、ブログに対してあまり入れ込んでいないことは確かなのですが、もう少し頻度を上げて更新していければいいな、なんて思います。

でも、ガンガン更新することは無いと思うので期待しないでね。

さて、前回の続きなのですが、勉強をする意味について考えていました。私の思う、勉強をする本当の意味は「いま目の前にある、自分がするべきことを、しっかりやりきるための練習」だと、思っています。

ただ現実的には、いい成績を取ることで、自分の可能性を広げてくれるいい学校に行きやすくなるし、そういった”いい学校”も一つではないだろうから、自分の中での選択肢が増えるもんね。だから、いい成績を取るために、勉強をするってことは全然間違っていないと思うよ。って事を書いていました。

で、この学校なんだけれども、これこそが子どもの社会の中心になるんだよね。対して、大人の社会って言うと、中心の場所が会社だったり家庭だったりするんだよね。

子どもと大人の社会で、はっきり違うのは”生きるために働くか、働かないのか”ってことだと思う。

家庭や会社では、家事労働だったり、給料をもらうための仕事だったりで、生きるために働かなくっちゃいけない。でも学校では生きるために働くことは要求されない。○○係や○○委員会って言うのはあっても、それは別に生きるためにみんながやらなくっちゃいけないものじゃないもんね。

学校って言うのは、勉強にしたって委員会にしたって部活にしたって、もちろん遊ぶことだって、どれもが”今を生き抜くために必要なこと”じゃないんだよね。

でも、どれも大人の社会に出た時に役立つことだから、しっかり”今”と言う時間を大切にして、それらにしっかり取り組んで”練習”しておくことがいいんだ。

みんな、いつかは必ず、子どもの世界から卒業しなきゃしなきゃいけない。お母さんやお父さんの助けを借りずに生きていく世界に、踏み込んでいかなくちゃいけないんだよね。

実際に親の保護無しで生きていこうと考えるようになったら、そのとき初めて分かるんだろうけれども、現在、そして、これからの日本は厳しいよ。

だからこそ、学校の中で勉強を始めとした学生生活にしっかり取り組まなくっちゃダメだってこと。

しっかり取り組んだ人は、大人の社会に出た時にそれだけ、余裕を持つことが出来るし、自信を持って生きていくことが出来る。

この世の中で強く生きるために、一番必要なものは”自信”だよ。他にもいろいろ意見はあるかもしれないけれども、それらは全て、自信の表れだと思う。

だからこそ、学生の内に自信に裏打ちされた知識や経験をしっかり蓄えておかなきゃって思うんだよね。
posted by 夜明けの遅番教授 at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育論〜総合編〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月30日

子供の社会と大人の社会

何のために勉強をするのかって、考えたり、不満をこぼしたりする子は多いです。

人それぞれに、勉強のもつ意味の捉え方は違うかも知れないけれど、わたしもなぜ勉強をするのかってことについてお話しすることがあります。

あくまで、私見なんですけど・・・例えば、中学や高校、大学などの上級の学校に行って、さらに高度な学問を学ぶための土台を作るため。とか、それ以前に、高校や大学に入るための入試を突破するだけの学力をつけるためとか。

まぁ、このあたりは、薄っぺらいけれど現実的な考え方ですよね。学校のテストでいい点を取って、いい成績をとることで、自分の行きたい学校へ行きやすくなることは間違いないし、魅力ある学校を選ぶ際で、選択肢が広がるもんね。

ちょっと次回へと続きます。
posted by 夜明けの遅番教授 at 11:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育論〜総合編〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月25日

塾の先生は魔法使い?

わたしは塾で生徒を教えているけれど、教えているのは英語や数学であって魔法じゃないんだよね。

分からん分からん、わかんないと言って、何でもかんでも聞いてくる子がいるけれど、こういう子は自分の力で何とかしようと思わないから、全部の問題を聞いてきちゃう。そして聞いたことを自分の中で理解しようとしないから、さっき教えたおんなじ問題なのに解き方が分からないよーって言って、おんなじことを繰り返さないといけなくなっちゃう。

2回や3回ぐらいだったらいいけれど、20回も30回もおんなじことを繰り返してたら、さすがに先生も困っちゃうんだよね。

こういった子たちのほとんどは答えがどうなるのかだけが大事で、途中式とか、途中で起こっていることとかはどうでもいいって思ってる。

全てのものにはつながりがあって理由があるからこそ、問題から途中の式、そして最後の答えへと結び付くのに、答えしか目が向かないから、途中式たる一番大事な“解き方”が頭の中に定着しないんだよね。

で、結局、いつまでたっても分からない。何度も何度もおんなじことを繰り返すことになっちゃう。ちょっときついかも知れないけれど、時間の無駄だよね。

もちろん先生が教えてくれたことが引き金で分かるようになることはたくさんあるから、それを活用するに越したことは無いんだけれど、絶対にそれに頼っちゃダメなんだよね。

でも、生徒ばっかりに出来ない理由を押し付けちゃいけないよね。だからわたしも頑張るよ。だから、みんなも一緒にがんばっていこうね。
posted by 夜明けの遅番教授 at 02:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育論〜総合編〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月07日

計算は身体で覚えたいね

計算なんてものは、勉強って言うカテゴリーの中では、全然メインの存在ではなくってサブもサブ、超サブだと思っていていい。

前にも言ったけど、計算って言うのは勉強を上手く乗り切るための技術の一つなんだよね。その技術の中でも、基礎中の基礎にあたるのがこの計算なの。

何度も言うように、スポーツで言うなら基本動作の練習に当たるんだよね。野球やテニスなら素振り、もっと言えばサッカーなら蹴るって言う動作、バスケならパスやシュートの動作だ。

これらも突き詰めていけば、フォームへのこだわりってことで、いろいろと理論的に考えて一番実戦的なものを作り上げ、練習し自分のものにしていくことはあるだろう。

でも、本当の一番最初の段階で、投げたり、蹴ったりすることについて理論的に考えて、自分のフォームを作っていく子どもがいるかな?いちいち、投げる時に左手、左腕はこの角度からこの位置に振り下ろしていくのが一番いいので、まず最初はこの位置から振りかぶろうなんて考えて投げることを覚えていく子どもがいるかな?

いないよね。基本的に周りの友達やお兄さんお姉さんのやってることをただただ見て、真似して一つ一つの動作を作っていくだけだよね。基礎動作については理論や考えなんてものは一切関与しないのが普通だし、自然なんだよね。

だから計算についても本当は理論的に決まりきったやり方を理解して出来るようになろうとするよりも、例題とかの解き方を見ながら、こうだからこう。こうだからこう。と身体で覚えていこうとする方が自然でいいんだよね。

解き方を理解して出来るようになるのは、もちろん理想的で一番いいんだけど、理解できなくなると一歩も進めなくなる。多くの子がそこで立ち止まり、諦める。で、そのままほったらかしって言うのがほとんどのケースだ。だから学年が上がって、出来て当然って言う場合でも、諦めてほったらかしになっているので、出来ないままなんだ。これはもう、最悪。

それでもまだ、1年前の学年ぐらいだったらすぐに追いつけるかもしれない。でも中学2年生、3年生になって割り算ができない、分数の通分や約分が出来ないなんて言うのは、よほど気持ちが変わらない限り、そして、その変わった考えが続かない限り、取り返すことは無理だと思っていい。

もちろん不可能ではないし、何とか手助けもするけれど、相当の覚悟がないと、出来るようにはならない。残念だけれど真実のお話。

だからこそ、理解を一番に考えるんじゃなくって、完璧に理解できていなくっても、例題とかを見ながらとりあえず進めていかなきゃいけないし、進めていくことが出来るんだってことは知っておいて欲しい。
posted by 夜明けの遅番教授 at 05:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育論〜算数、数学編〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月05日

勉強の反復練習考察vol.3

さてさてまたまた、勉強の反復練習について書いていくね。

計算って言うのは、スポーツで例えるなら基礎的な運動に当たる。野球だったらキャッチボールや素振りだ。これら基礎的な練習をおろそかにする選手はいない。特に一流の選手だったら皆無と言っていい。別に一流と言わなくてもちょっと上手いって言われるぐらいの人なら、きちんとこういう練習は怠らないよね。

下手くそな人も上手くなろうとやっぱり基礎的な練習に一生懸命励むはずだ。こんな感じでスポーツなら、反復練習を出来る人が意外と多いのに、勉強になるととたんに少なくなる。

なぜだろう・・・。

一つは野球とかスポーツは基本的にやりたいことだからなんだよね。でも、勉強は自分からやろうと決めたことじゃない。義務だったりするから、やらなきゃしょうがない。嫌々やらされているって感じだ。

でも、よく考えてみて欲しい。勉強が出来る人だって、きっと許されるならば、勉強なんてしたくないって思っているはずだ。みんながみんな勉強を嫌々やっている、いや、やらされているってところがミソなんだ。

誰一人として、勉強しなくってもいいよって言う不公平を与えられている人はいないんだ。

でも、大きくなればなるほどに分かるんだけど、この世の中って、やりたいことよりも、やらなきゃいけないことに費やされる時間の方が圧倒的に多いんだよね。子供のころはそれが勉強で、大きくなったらそれが仕事に変わるだけ。もちろん好きなことを仕事にしている人もいるけれど、それはそれでやっぱり大きな苦労があることに変わりはないんだよね。

で、勉強って言うのは、いま目の前にある”やらなきゃいけない事"にしっかり対応して、しっかりやりきるための練習なんだよね。だから、別に算数のための勉強でも、国語のための勉強でもない。その辺りは勘違いしちゃダメなんだ。

そして、その勉強を上手く乗り切るための大事な技術の一つが計算だってこと。だから、計算って言うのは本当に基礎の基礎なんだ。だからこそ、しっかり出来るようになるまで反復して練習をしないといけない。

計算のほかにも勉強の基礎の基礎はいろいろある。代表的なものは漢字の読み書きだったり、英単語の暗記だね。で、こういった基礎の基礎をしっかり積み重ねることで、物事をやり遂げる力がついてくるってことをしっかり覚えておいて欲しい。

出来ないからって絶対に中途半端で諦めちゃダメだ。今はまだ足りていないだけ。友達よりもたくさんやらなきゃいけないかもしれない、でも、必ず出来るようになるんだから。
posted by 夜明けの遅番教授 at 04:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育論〜総合編〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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